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2010年02月04日(木)更新

厳しい時代が来るぞ!

皆さん、こんにちは!

今日は、慶應義塾大学の飯塚さんのご質問にお答えします。

<質問>------------------------------

 みなさまは、企業に勤めてから起業された方、学生を終えてそのまま
 起業という選択をなされた方、実家の家業を継いだ方など、さまざまな
 経緯を辿って、経営者になられたかと思います。

 そこで経営者となった経緯や、起業(あるいはあとを継いだ)理由について
 教えていただければと思います。

                  (慶應義塾大学商学部 飯塚涼さん)

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私は、家業を継いで経営者となった町工場の二代目社長です。
会社は、私の父が昭和29年に創業しました。

東京の私立大学で4年間学び
その後、10ヶ月ほど工作機械メーカーの
加工技術担当として、勤務しました。

とはいえ、私の位置づけはエンドユーザーの息子
分かりやすく言うと、大学出たての息子の教育を手伝い
その後に、代替わりしても、工作機械を買ってもらおうという
企業戦略のひとつでしたので
一般に言われるような、他社での修行とは違い
毎日のように、宴会をしていただきました。

その後、会社に入社するわけですが
当時の肩書きは、いきなりなぜか監査役・・・(笑)

話を戻しますが・・・
家業を継ぐ継がないという話は、大学の3年次ころから
父と時々するようになっていました。

父が起業し、経営してきた時代は
日本は右肩上がりの高度成長期でした。
でも、今後の日本は安定期に入り
今までのような勢いはなくなると予測していた父は
「これからは、想像つかないほど、中小企業には厳しい時代になるから
    少しでも大きな企業に就職できるのなら
        継ぐのはやめて、勤め人になれ!」と何度も言いました。

学校の成績は、良くなかったですが
当時は、就職は売り手市場でして
一流と言われる企業への入社も出来た時代でした。

私は、小学生の頃から
父が町工場を経営していなかったとしても
モノづくりの現場で働きたいという気持ちを持っていました。

小さい頃は、工場の二階に住んでいて
毎日油のにおいをかぎ、機械の音を聞きながら育ちましたので
徐々に洗脳されていたと言われれば、そうかもしれません。(笑)
オーバーに言えば、モノづくりが天職だと思っていましたし
その気持ちは、今も変わりありません。

というわけで、父には何度も念押しされましたが
私は一貫して、後を継ぐ気持ちでいました。

そして、今
世の中は、父が予言(?)したとおりとなり、厳しい時代ですが
あの時、「後を継ぎたい!」と言い切ったのだから
もっともっと前を見ながら、努力しなければと思えます。

経営者はきついですが
楽しさもやりがいもたくさんあります。
いつの日か、ご自分のビジネスモデルを確立して、起業されることを祈念致します。

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