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2008年06月15日(日)更新

ご縁を大切にする年に!

皆さん、こんにちは!

私にとって、今年一年は、「ご縁を大切にする年」です。
今年だけなの?とおっしゃる方もおみえでしょうが、
今年は特に年頭からそう思いました。
私は、今年で48歳になりました。
ねずみ年、年男です。

なぜ、特別な年なのか、なぜそう思ったのかと問われても、
特別な理由があるような、ないような。(笑)

この年になって、人とのかかわりあいの大切さを痛感し、
ずっとワンマン経営をしてきたことを反省し、
人間ひとりで生きているわけではなく
たくさんの皆さんのおかげで、
これまで生きてこれたことに気づき、
今更ですが、感謝しています。

経営者会報ブログは、設立当初から存じ上げておりました。
一時は、参加しようと思いましたが、
申し込み寸前で止めてしまいました。
この時も、特に参加を取りやめた理由があったわけではありません。
自分では、機が熟していなかったのだと思います。

今年、2月、IT講演会の講師として、鹿児島にお招きいただきました。
遠いし、3日も会社を空けることになります。
どうしようかと迷いましたが、
講演会に参加予定の150名の方々との出会いは、
二度とあるかどうかの良いチャンスです。
今回は、お引き受けすることにしました。

鹿児島へ伺うと決まったと同時期に、数人の方から
「鹿児島に行くのなら、ぜひ知覧の特攻記念館を見てくるといいよ。」
「きっと、この先の人生が変わるから。」とご助言いただきました。

無事講演が終わり、私は、翌日友人にお勧めいただきました
知覧特攻平和会館を見学しました。

太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸し、
敗戦色が濃くなっていく中で、
最終兵器として、戦闘機でアメリカ海軍の軍艦に
体当たりするという特攻攻撃が行われました。
知覧にも、この特攻隊が出撃する飛行場があり、
20歳前後の若者が出撃されたそうです。

この記念館は、特攻攻撃を称えるためのものではなく、
史実を後世に正しく伝え、世界の恒久平和のために建てられた施設です。
英語版のパンフレットには、
「Peace MUseum for "kamikaze "Pilots」と書いてありました。

館内には、飛燕、疾風といった当時の戦闘機が
展示物として、真っ先に目に入ってきました。
しかし、メインの展示物は、百人を超える特攻隊員の遺書です。
年は、17歳から20歳前後の若者が多く、
いずれも優秀な選ばれた方々だったそうです。
しかも彼らの多くは、いずれ日本が敗戦国になることを知りながら
自らが特攻しても、結局戦局は変わらないことも知りながら、
お国のためにと、沖縄の海に散っていったのです。

中には、敗戦後の日本の行方を危惧した内容の遺書もありました。
今、平和な時代に生きている私たちですが、
こうした人々の犠牲の上に、今の日本の繁栄があることを
忘れてはいけないと思います。
どの遺書にも、両親や兄弟、親戚の方への感謝のことばと
先立つ不幸をわびる言葉が綴られていました。

さらに、必ず敵艦に体当たりし、轟沈させるから
心配しないようにと書かれていました。

その無念さを思うと、普通に生活できる幸せを
改めて考え直さなければいけません。

記念館を見た後、近くにある鳥浜トメさんの資料館にも行きました。
トメさんは、”特攻の母”と慕われた方です。
当時は冨安食堂というお店を営まれていたそうです。
この記念館には、トメさんの生涯と彼女と特攻隊員との
ふれあった遺品、写真が展示され、真実を伝えることで、
二度とこうした特攻の悲劇が繰り返されないことを祈って作られたそうです。

鳥浜トメさんのことばの中で、特に心に響いたふたつのことばをご紹介します。

 「なぜ生き残ったのか考えなさい。
   何かあなたにしなければならないことがあって、生かされたのだから。」

 「よきことのみを念ぜよ。必ずよき事来る。
   生命よりも大切なものがある。それは徳をつらぬくことである。」


この言葉も、私が年を重ねた今だから理解できる言葉なのかもしれません。
3日間連続で投稿しましたが、
今後は少しずつ力を抜いて、続けようと思います。
よろしくご指導ください。

桜島