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2008年09月01日(月)更新

立つ鳥後を濁さず・・・

皆さん、こんにちは!

今日は、素敵なお話のご紹介です。
当社では、昨年秋より、O社様とのお取引を始めました。
きっかけは、私がO社の社長様とある会でご一緒するようになり
その際に、当社がアルミの高精度加工が得意なことを
ご紹介させていただいたことがきっかけで
その後、お仕事をいただけるようになりました。

お取引スタート時から、当社の担当になっていただいたのがIさんです。
そしてそのIさん(男性)から仕事の指導を受けながら
Iさんと一緒に当社のご担当になっていただいたのがMさん(女性)です。

おふたりともいつも元気で、礼儀正しく、
仕事にはいつも全力投球で、頑張ってみえました。

ところが、先々月の終わり頃、Mさんが近々退社されると伺いました。
寿退社なので、喜ぶべきことなのですが、折角お知り合いになり
慣れてきたところでしたので、お別れするのはとても残念に思っていました。

8月のお盆前のある日、Mさんが突然来社され
「明日が最後の出社です。」とご挨拶にみえました。
短い期間でしたが、いろいろとお世話になったお礼を申し上げました。

その時は、わざわざ挨拶にみえるなんて
きちんとされているなと位にしか思っていませんでしたが
今日は仕事の用事でIさんが来社され
Mさんが退社時のお話を詳しく伺いました。

Mさんは、上司に言われたわけでもなく
ご自分の意思で、辞める二日間をかけ、
近場で一度でもかかわったお客様や協力先様を回られ、挨拶されたそうです。

「立つ鳥後を濁さず」と言いますが、去り際に整理して去るのみならず
こうして後に繋がる営業をし、会社を去られたMさんのお話を伺い
すばらしいことだと感銘を受けました。
社長様のご指導、会社の風土、職場の皆さんの雰囲気・・・。
すべてが良い方向へ向いて、ご自身が日々努力されてみえた結果だと思います。

当社もこんな出会いと別れが繰り返されるような
素敵な会社にしていきたいとの想いを新たにしました。
Mさん、お幸せに・・・。

2008年09月01日(月)更新

久々のボウリング大会・・・

皆さん、こんにちは!

昨日は、地元、蒲郡鉄工会青年部会のボウリング大会に参加しました。

鉄工会青年部会という会は
地元の町工場の二代目、三代目の42歳までの
若手経営者もしくは後継者が入会する会です。

私はすでに42歳を超えていますし
もう、青年という歳ではないですが
十数年前、私がこの会の会長を務めた際に
この業界では、新規開業される町工場がほとんどないことや
鉄工会の会員自体も、後継者不足や高齢化で毎年数社が退会している
状況を踏まえ、50歳までの準会員という資格を新設し
会員の減少を防ごうと考えたため、辞めるに辞めれず
まだ留まっている次第です。

青年部会では、年に数回の行事を実施しています。
講師をお呼びしての講師例会や勉強会をはじめ
家族参加型のイベントも開催しています。

昨日は、家族参加でのボウリング大会でした。
総勢50名ほどで、ひとり2ゲームずつプレーしました。
私にとっては、5年ぶりのボウリングだったので
1ゲームを終えた頃には、もう限界。。。
2ゲームトータルで268点でした。

ボウリングといえば、思い出すのは亡くなった父のこと。
私が小学生、中学生の頃は、家族で旅行に行くような
金銭的な余裕も無ければ、両親も忙しく働き
どこかへ遊びに行った記憶もほとんどありません。

とはいえ、父は当時大流行したボウリングが好きで
蒲郡市にボウリング協会を作ってしまったほど熱中していました。
ですから、遊園地には連れて行ってもらえませんでしたが
ボウリング場にだけは連れて行ってもらいました。

ボウリングというスポーツは、簡単なスポーツですが
それなりのルールがあります。
もっとも大切なマナーは、隣のレーンの方が
少しでも先に投球動作に入った時は
自分は、動作を中断しなくてはいけません。

昨日も、そんな基本的なルールさえ
知らずに投球されている方が多かったようです。

父から教わっていた当時は
遊びのことまで、何でこんなに細かいことをと思いましたが
今になるときちんとしたマナーを教えてもらったことに
感謝し、なつかしく思い出しました。

 アルミの高精度部品加工のことなら、蒲郡製作所へ!!!

ボウリング

2008年08月30日(土)更新

方向音痴は直せるでしょうか?

皆さん、こんにちは!

㈱創の村上さんの赤塚不二夫さんの記事を読んで
ふと思ったことがあります。村上さんのブログにも投稿したのですが。。。

私は、モノづくりを続けてきました。
基本的な仕事の流れは、
お客様が設計された2次元の図面を基に
一定の決まりに従って、その形状を頭の中で読み取り
平面的に書かれた製品を頭の中で立体化させてイメージします。

その後、どういう工程でモノづくりをすれば、
より早く、より精度の良い製品ができるかを日々判断しながら
工作機械を駆使して、いろいろな製品を作っています。

こうした一見複雑で、難しそうな作業は難なくこなせるのですが、
時々ふと「右と左」、「西と東」が分からなくなるのです。
どっちが右手だっけ?東ってどっちだっけ?

おいおいと言われそうですが、
今までずっとそれの繰り返しで生きています。(笑)
西と東に迷った時の思考プロセス(そんなタイソウナ・・・)は、

① 迷うと、天才バカボンのテーマが頭に流れます。
  「西から昇ったお日様がひがし~へしずうむぅ~♪
     これでいいのだぁ~♪ これでいいのだぁ~♪・・・」
② お日様が昇るのは、この歌では西だけど、
  バカボンパパは間違ってるから、お日様が昇る方角が東なんだ!
③ だから、あっちが東で、こっちが西!

というわけです。それだけこの歌が印象的だということも確かです。
ちなみに、西と東はわからなくなって迷うのですが、
北と南で悩んだことは、一度もありません。

右左がわからなくなって悩んだ時は、
皆さんご存知の、「お箸を持つ手が、右!」です。
(左利きの方は、違いますね。)

更に付け加えると、
道はよく間違えます。いわゆる典型的な方向音痴です。

さて、そこでお願いです。
私の頭の中で起こっているこれらの現象を
論理的に解説していただける方はみえませんか?

なぜ平面図を立体化する能力はあっても、右左で迷うのか?
西と東はわからなくなるのに、どうして北と南では迷わないのか?
どうしたら、このアホな頭がすっきりして、右左、西東で迷わなくなるのか?
よろしくお願い致します。

2008年08月15日(金)更新

事業継承のタイミングとは・・・

皆さん、こんにちは!

久しぶりの投稿です。
体調が悪かったわけでも、仕事が特に忙しかったわけでもありません。
怠け癖がつくと、どんどんと書けなくなってしまいます。

さて、今日は今月のお題「事業継承のタイミングとは」について
私の経験をお話します。

当社は、私の父が創業し、私が二代目として引き継ぎました。
引き継いだきっかけは、父の入院です。
父の病気はガンでした。それも一年以上経過した末期ガン。
担当医からお話を伺った瞬間は、目の前が真っ暗になりました。

ところが、父は奇跡的に半年ほどで退院し、
また以前のように毎日会社に来るようになりました。

その後も10年間は、2,3年おきに入退院を繰り返しました。
徐々に仕事を覚えられたのは良かったのですが
少し慣れた頃に、父が復帰してきます。
従業員も社外の取引先も私を見てくれるようになった頃に
父が復帰し、また経営者として手腕を発揮していました。

父は、最初に入院した頃から、
「これからはお前の思うとおりに経営しろ。」と言ってくれていましたが
自分自身も、周りの人たちも、ずっと父を見ていたと思います。

私が、これからは自分がやらなくてはと奮起したのは、父が亡くなる
前の年のことです。それまでの約8年間は、「社長不在」の会社に
なっていました。当然、業績も思わしくなく、きちんとした戦略・戦術も
ありませんでした。

というわけで、当社では、私が社長としての自覚がないまま
事業継承してしまったわけです。

そんな失敗を踏まえ、
私は、現在48歳ですが、65歳には引退したいと考えています。
55歳になった時には、次期経営者を決め、その後10年間で
事業継承したいと考えていますが、うまくいくかどうか。(笑)

2008年07月17日(木)更新

JR社内にて思ったこと・・・

皆さん、こんにちは!

もう先週の話になりましたが、
11日の金曜日に、豊川商工会議所で
㈱創の村上肇さんのセミナーで
ウエブサイトとブログを使った情報発信についての
事例発表のお手伝いをさせていただきました。

当社は、愛知県蒲郡市にあります。
蒲郡商工会議所にも属しておりますが、
近くの豊川市にあります豊川商工会議所にも
お仲間に入れていただいております。

ですから、
時々は、豊川商工会議所に伺いますが、
電車ですと便が悪いので、いつもは車で来ています。
(所要時間はほぼ同じですが、遅くまで電車がないのです。)

今回は、あらかじめ、村上さんとセミナー終了後に
名産であるうなぎを食べ、小料理屋でお酒をご一緒するお約束でしたので
いつもの車ではなく、JR東海道本線とJR飯田線を
乗り継いで、豊川駅まで乗車しました。

途中、豊橋駅では、村上さんと偶然お会いし
飯田線では、ずっとご一緒でした。

さて、電車が豊川駅へ着いたその時です。
いつもは、当然開くはずのドアが開かないのです。
おかしいなと思った時には、
乗車しようとホームにいた高校生が
ドアを手で開けてくれていました。
「えっ!イマドキ手動かいな!」

door
帰りの電車では、
どうしても不思議に思ったので、
なぜ今も手動なのかを車掌さんに伺ってみました。

「冬場に飯田に近い駅では、とても気温が下がります。
  自動で開いて、急に冷たい冷気が、社内に入ってくると寒いですから。」

なるほどと感心しました。
その上、田舎を通る線ですから、
必ず乗車したり、下車したりするお客様が
いるとは限らないわけです。

これで、問題はひとつ解決しましたが、
もうひとつ気になることが・・・。

豊橋駅で乗り換えた東海道本線の車中には、
ペットボトルや紙くずが産卵していました。
深夜の電車では、こうしたごみが産卵していることが時々あります。
おっと、産卵は、散乱の間違いですね。

でも、産卵と書きたくなるほど、
一人が捨てたごみは、ふたつ、みっつと増えていきます。
落ちてるから、俺も捨ててもいいだろう。
そんな安易な気持ちが集まると、
公共施設は、あっという間にごみの山です。

逆に、皆さんが目に付いたごみを
ひとつだけでもゴミ箱に運んだら
街はきっとピカピカに生まれ変わります。

私は3年ほど前、
枚岡合金工具の古芝さんが
自身のブログで、車中のゴミ拾いをされている記事を読み、
それ以降、かばんを持ち歩く時は必ずコンビニの袋を携帯しています。

その中に、目に付いたゴミを拾い集めて
ゴミ箱まで運ぶように心がけています。

些細な善行を、「こんないいことしてるんです!」と
宣伝しているようで不本意ですが、
でも、私が古芝さんの書かれたブログを読んで変われたように
どなたか一人でも、このブログをご覧になった方が
明日からゴミ拾いをするようになっていただいたらと思い、
今日の日記を書きました。

gomi

 アルミの高精度部品加工のことなら、蒲郡製作所へ!!!
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