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2010年02月14日(日)更新

バレンタイン事情・・・

皆さん、こんにちは!

写真は、娘が友達に渡すために作ったチョコレート菓子です。
その数は、50個を超えているとか・・・。

義理チョコと言われた時代もありましたが
今の流行は、友チョコだそうです。
女性が女性の友達のために渡すケースがほとんどで
女性から男性へのチョコレートは激減しているとか・・・。
これも時代の流れなのかな。(笑)

バレンタイン

2010年02月14日(日)更新

初めの一歩・・・

皆さん、こんにちは!

今日は、地元蒲郡で開催されました
三河湾健康マラソンの5キロの部に参加しました。

古芝さんを始めとして
皆さんがフルマラソン、ハーフマラソンにチャレンジするなか
私が参加したのは、たったの5キロです。

とはいえ、私の記憶の中では
止まらないで、5キロ走り続けたことはおそらく人生初の経験です。
今回の目標は、止まらずに完走することでした。

何度も止まりかけながら
何とか最後まで走りきりました。
タイムは、29分07秒。早歩きで歩いた程度の記録ですが
まずは、始めの一歩として、これをきっかけに少しずつトレーニングします。

今回感じたのは、息苦しさよりも足が動かないということです。
毎日少しずつランニングすれば、楽に走れるようになると思います。
次の目標は、10キロ走りきることです。
軟弱モノですが、温かく見守ってください。(笑)

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三河湾健康マラソン

2010年02月08日(月)更新

第二回つなご縁イベント開催・・・

皆さん、こんにちは!

昨日は、蒲郡観光交流おもてなしコンシェルジュの有志の方々が主催されました
「つなご縁~つなごう結ぼう素敵なご縁~」と題したイベントの出展しました。

当社のブースでは、会社の案内と
本年度中に打ち上げ予定の深宇宙探査衛星UNITEC-1の
エンジニアリングモデルの展示を行いいました。

このイベントは、昨年に引き続き今年で二回目となります。
今回は昨年より更にレベルアップし
女性4人のサックスアンサンブル[EMU」さんのオープニングミニコンサートに始まり
伊藤わかよさんによる「風呂敷の結び方講座」
三河木綿ファッションショーやキッズチアダンス
高校生パフォーマーの快斗さんの華麗なジャグリング
ゆき&じょ~さんのアコースティックライブなどなど
いろいろな催しがあり、スタッフであるこを忘れ
楽しい一日を過ごさせていただきました。

協賛、協力いただきました皆様に感謝するとともに
今回もたくさんの素敵なご縁をいただきました。
ありがとうございました。

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emukimono

danceyuki&joe

2010年02月05日(金)更新

けっこうきつい・・・

皆さん、こんにちは!

仕事は相変わらず
増えたり減ったりを繰り返し
少しずつ上向いているかなといったところが実感です。

トヨタのリコール問題
朝青龍の引退問題
小沢さんの責任問題・・・

とにかく、世間がどうだの景気がどうだの・・・
ましてや政府が何とかしてくれるなんて。
やはり、自分の身は自分で守る時代。
何かアクションを起こさなければ
自分の周りは、いつまで待っても変わりません。

それでもまだ、じっと耐えて待っていたら
その先にあるのは・・・。ぞっとします。
常に前を向いて、やせ我慢でも、笑って前進しましょう!
現実を直視し、まともに考えたら、夜も眠れないでしょうが
私はいつも夜は熟睡しております。
Take it easy!なんとかなります!

けっこうきついですが
言うほどつらくもなく、毎日が楽しいです。
わくわくします。

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2010年02月04日(木)更新

厳しい時代が来るぞ!

皆さん、こんにちは!

今日は、慶應義塾大学の飯塚さんのご質問にお答えします。

<質問>------------------------------

 みなさまは、企業に勤めてから起業された方、学生を終えてそのまま
 起業という選択をなされた方、実家の家業を継いだ方など、さまざまな
 経緯を辿って、経営者になられたかと思います。

 そこで経営者となった経緯や、起業(あるいはあとを継いだ)理由について
 教えていただければと思います。

                  (慶應義塾大学商学部 飯塚涼さん)

----------------------------------

私は、家業を継いで経営者となった町工場の二代目社長です。
会社は、私の父が昭和29年に創業しました。

東京の私立大学で4年間学び
その後、10ヶ月ほど工作機械メーカーの
加工技術担当として、勤務しました。

とはいえ、私の位置づけはエンドユーザーの息子
分かりやすく言うと、大学出たての息子の教育を手伝い
その後に、代替わりしても、工作機械を買ってもらおうという
企業戦略のひとつでしたので
一般に言われるような、他社での修行とは違い
毎日のように、宴会をしていただきました。

その後、会社に入社するわけですが
当時の肩書きは、いきなりなぜか監査役・・・(笑)

話を戻しますが・・・
家業を継ぐ継がないという話は、大学の3年次ころから
父と時々するようになっていました。

父が起業し、経営してきた時代は
日本は右肩上がりの高度成長期でした。
でも、今後の日本は安定期に入り
今までのような勢いはなくなると予測していた父は
「これからは、想像つかないほど、中小企業には厳しい時代になるから
    少しでも大きな企業に就職できるのなら
        継ぐのはやめて、勤め人になれ!」と何度も言いました。

学校の成績は、良くなかったですが
当時は、就職は売り手市場でして
一流と言われる企業への入社も出来た時代でした。

私は、小学生の頃から
父が町工場を経営していなかったとしても
モノづくりの現場で働きたいという気持ちを持っていました。

小さい頃は、工場の二階に住んでいて
毎日油のにおいをかぎ、機械の音を聞きながら育ちましたので
徐々に洗脳されていたと言われれば、そうかもしれません。(笑)
オーバーに言えば、モノづくりが天職だと思っていましたし
その気持ちは、今も変わりありません。

というわけで、父には何度も念押しされましたが
私は一貫して、後を継ぐ気持ちでいました。

そして、今
世の中は、父が予言(?)したとおりとなり、厳しい時代ですが
あの時、「後を継ぎたい!」と言い切ったのだから
もっともっと前を見ながら、努力しなければと思えます。

経営者はきついですが
楽しさもやりがいもたくさんあります。
いつの日か、ご自分のビジネスモデルを確立して、起業されることを祈念致します。

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